REPO MAN

 

 

 

 

 

 

日本でも車を担保にお金貨しますという怪しげなローン会社の捨て看板を目にすることがある。アメリカでもまともには融資を受けられないいわゆるサブプライム層向けの融資形態としてカータイトルローンという貸金業が存在する。車を担保とする専門の高利貸しである。もともと信用力の低い所得層を対象とするリスクの高い融資であることから、返済の停滞や貸し倒れに至る率も非常に高く、州法や連邦法でももかなり乱暴かつ一方的な方法での担保の差し押さえ、債権の保全が容認されている。このため、差し押さえ(Repossession)の執行を請け負う専門業者が存在しており、彼らは俗にレポマン(Repo-man)と呼ばれている。

映画レポマンの筋書きはこうだ。政府の機密研究に携わった核科学者が発狂して宇宙人の死体を研究施設から盗み出す。放射能に汚染された宇宙人の死体をリアトランクに載せたまま頭のおかしくなった科学者は64年型マリブで街をさまよう。政府諜報機関は多額の賞金をかけて宇宙人を乗せた64年型のマリブを確保しようとする。賞金に目がくらんだレポマンの同業者達、諜報機関、街のパンク三つ巴でのマリブ争奪戦が繰り広げられるが、やがてマリブは以外な人物の手中に。。

この映画が作成された80年代、自動車に象徴される日本製品の輸出攻勢を受けた米国経済は国内製造業の競争力低下による凋落と停滞傾向が鮮明になっていた。アメリカの消費傾向はしかし、このことによって衰えることはなく、この窮状に際して、連邦政府(レーガノミックス)も国民も借金をして生活水準を維持することを選択した。このころから双子の赤字という言葉が使われはじめる。連邦による財政出動(国債という名の借金)は旺盛な消費を支えたが、消費は国内生産よりも輸入拡大を招いた。輸入拡大は貿易収支の赤字を拡大した。こうしていつのまにか消費大国アメリカは、現実の富によってではなく信用力、要するに返せるあてのない借金と赤字によって消費と贅沢を維持する国に変貌していった。

監督のアレックスコックスは俗にパンク映画の鬼才と賞されて、この映画でも少々エキセントリックな筋書きやスキンヘッドファッションの登場人物達、イギーポップ他のサウンドトラックなどが評判となった。それは間違いなくこの映画の魅力の一部ではあるけれど、この映画が本質的な意味でラディカルなのはレポマンの日常を通して米国経済がはらんでしまった危うさと滑稽さをジョークを交えながらもまじめに警告している点にある。国も国民も誰もが豊かな生活を失うまいと借金漬けになってまで、消費を続けようとしている。そんなこといつまでも続けられるわけがないのに。

登場人物の中でオトーと清掃係のミラーだけは、資本主義や経済活動の中から"はみ出し"てしまっているが故に、逆にこの国の現状の滑稽さに半ば気づいている。もしくは何か違和感を感じている。(だからこそ、宇宙人は最後に彼ら二人だけを選んで”宇宙船”に招きいれるのだが。)一方でその他の登場人物達はみなアメリカ資本主義と金と物質主義の虜として盲目的に物質的豊かさを追い求める。オトーの両親はケーブルテレビの宗教チャンネルにはまり、全財産を協会に寄付し、薄暗いリビングで朝から晩までテレビの前のソファに座ってうつろな目で説教に聞き入っている。仲間のレポマンたちも金に目がくらんで、仲間割れしてみたり命を顧みずに危険を冒してマリブを手に入れようと必死だ。同級生やパンク達は遊ぶ金目当てのコンビニ強盗をして射殺されたり、割りにあわない過酷なバイトであいかわらず搾取されつづけている。

”The more you drive, the less intelligent you are.


車を持たないミラーがオトーに言う。”俺は車は運転しない。バスで仕事に通う。車を運転しているとだんだん知性が低下してしまうから。”

”車”、そこにはアメリカ資本主義、20世紀の物質文明が凝縮して象徴されている。車に乗って豊かで便利な暮らしを享受しているうちに我々は何かを見失ってしまったようだ。でも物質文明の中に暮らす我々の脳は既に麻痺してしまって、そのことにさえ気が付くことができなくなってしまった。

物質的豊かさの象徴としての車(マリブ)への執着と返されない借金の行方。。。
”車”と”借金” − アメリカ資本主義、20世紀の物質文明がそこに凝縮されている。
このまま20世紀資本主義を盲目的に推し進めていくのか、あるいはそれを客観的に見つめなおす視点を取り戻すことができるのか。まるで宇宙人が我々の行動を観察するような冷静な視点で。。。

米国の財政赤字の話に戻そう。日本は黄金の80年代を通じて最大の対米輸出国として大幅な貿易黒字に潤ったが、一方で米国の借金(国債)の最大の引き受けて手でもあった。一時は世界中の国外米国債の40%以上を日本が所有する状況となっていた。つまり返せない相手に金を貸しているのは我々なのだ。21世紀に入り、米経済が住宅バブルに沸くと上がり続ける不動産の担保力を背景にして従来であれば融資対象にならなかったサブプライム層にまで、その融資対象は拡大され、それがまた新たな住宅需要を創出するというバブル的な加熱膨張を続けていった。サブプライム向け債権は証券化され、誰もそんなハイリスクな商品に手を染めているという自覚のないまま、さまざまな金融商品、ファンドや我々の年金の運用内容の中にも知らず知らずのうちに間接的に組み入れられていった。我々日本を含む世界中の過剰流動性は、高い利回りを求めて流れ流れてアメリカのサブプライム層に返済能力を超えた借金をさせつづけた。今や、意識する・しない、好むと好まざるに関わらず我々日本人も世界経済もこのレポマンのドタバタ劇の中の登場人物の一員になってしまっているのだ。2008年現在、世界中がやっとそのことに気がつきつつある。25年前、1984年の時点で、既にこのことを示唆していたこの映画はやはり驚愕に値する。

”The more you drive, the less intelligent you are.

脳みそが腐ってしまう前に”車”から降りることはできるのか。